「これ、やりさえすれば誰でも出来まっせ?」が、いいのんです

20200727_01
2畝半強の自宅近くの #田んぼ は、#天水 ( #てんすい 。雨水のこと)だけで水を賄う。
天水だけだから、田んぼの水が干上がった時のために脇に堀を掘った。
 
田んぼや堀の脇に生える雑草は、刈った後にその堀の水の中に投げ込んでいる。
今は水面には見えてないけど、中で腐って(又は発酵して)いってるはず。
だから、この堀の水は、肥料的な栄養がソコソコ貯まってるんじゃないかな~って、勝手にイメージしてる。
 
「この水を田んぼの方に流し込んだら、追肥みたいな効果もあるかな?」
 
とか。
 
 
いや、ホントのところは知らんですよ?
何か、窒素がどうとか酸素が云々・・・ 、とか。
 
たぶん、今のボクは何も分かってないんだろうし、既に色んな人から真っ当なアドバイスも聞いたのかもしれない。
 
ただね、何というか、
 
「そのぐらい緩くなくちゃな~」
 
って、思うのんです(笑)
 

  • こうした方が早い
  • あのやり方が効率がいい
  • 作物のためにはこうするのが一番・・・

 
うんうん、そうなんでしょう。
それらを否定するつもりは更々ないし、ボクもいずれ同じ結論を導き出すかもしれない。
 
ただ、それらは今のボクにとっては、
あくまでも今のボクにとっては、
緩くないのんです。
 
今の社会、資本主義の社会、競争社会。
その問題点の1つは、多くの人が持っているであろう、

  • 一生懸命生きなくちゃいけない
  • 頑張って生きてる人は偉い
  • 為せば成る、為さねば成らぬ・・・

みたいな感覚にもあると、ボクは思うのんです。
 
その社会問題の解決。
ボクは、自分の生き方を通して、その解決へと歩んでるつもりでもあり、社会にも影響を及ぼしていると思ってます。
もし、ボクがメッチャ頑張って、それで成り立っても、
 
「あ~、あの人はメッチャ頑張ったからね」
 
って、それで終わらせられちゃう。
す~んごく、そんな風になりそうな気がする(笑)
 
それじゃあ、あんまり意味無いのんです。
いや、意味無くはないんだけど、それほど嬉しくないのんです。
 
「これ、やりさえすれば誰でも出来まっせ?」
 
が、いいのんです。
 
 
はからずも今、ボクの職場は、社会問題を解決する起業家を輩出しまくる、 #ボーダレスグループ の #みらい畑 。
#農業をやりたい人が続けられる社会を創る
 
上述の話の流れから言うと、今のところ、みらい畑(ひいてはボーダレス全体)の動きは、ボクのそれと真逆のベクトルを持っています。
平たく言うと、頑張って頑張って、社会問題を解決しようとしている。
少なくともボクには、そう見えます。
それはそれで、ホントに素晴らしいんですよ。
 
ただ、ボクは勝手ながら、その先を想像している。
偉そうに聞こえるかな?
でもすんません、ホントにそんな感覚なんです。
 
頑張って頑張って、問題を解決しようとすること自体は素晴らしい。
ただ、もし問題点が
『頑張った人や会社“だけ”が評価されてしまうこと』
にもあるんだとしたら・・・。
『そして、結果を出したら喝采される』
にも、問題が含まれてるんだとしたら・・・。
(実際、前にもチラっと投稿したけど、黒字化を意識するあまり、ラウンドアップ・・・、ってなったり、ね。笑)
 
 
あ、文章の流れに不穏な空気を感じる?
まあ、文章下手っすからね~、ボク f(^_^;
ただ、間違っても
ボーダレスが間違っててボクが正しい
って意味では無いっす。
 
みらい畑の面接の時にボクは、ある程度先を見越して、
「ボクとみらい畑の目指すところは、“最終的には”一致すると思ってます」
って言って、入社しました。
その予言が的中するかどうかは、まだ分かりません。
 
でも、ボクは、
 
#農業をやりたい人が続けられる社会はメッチャ緩いはずだ
 
って、思うのんです (^_^ゞ
 
 
#なるべくお金を使わない生活 #農的暮らし
 

坂元 修一(シュウ)
坂元 修一(シュウ)
なるべくお金を使わない生活を実践中

令和2年7月現在は田んぼに夢中である

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